第4回鈴木六林男賞受賞作品
「それっきり」うっかり
緑雨とは我を掠りもせぬものか
麦秋の列車カーブにさしかかる
天道虫手に這わせたる待ち合わせ
さよならを我慢している水澄し
ソフトクリームの螺旋に空の遠さかな
手はすぐに汚れてしまう雲の峰
青空の嘘に飽きたり白ビール
べちゃべちゃと泣きゆく蝸牛だった
旅に出て昼の楽しき暑さかな
その枇杷が美味しいとだけ返信す
蛍火の黄の強ければ冷たからん
ゆっくりと生きて鱧なぞ食うており
朝涼し茶碗一杯分の飯
蜂蜜に光ぎっしり夏至の雨
雨の日は水ばかりなり立葵
やさしさの途切れしところ濃紫陽花
それっきり午後は静かな苔の花
空蝉に掴まれている時間かな
濃厚な水のぬるさの水着脱ぐ
街にビル余らせている夏の果
第4回鈴木六林男賞 受賞作品
「狐花火」三好つや子
種袋生の死の音ごったごた
蛇穴を出てルナールの一行目
血縁がゆらいでおりぬ遠蛙
七月の空青々と無調整
少年兵走る夏野へ星野へと
止まらない船虫トルコ行進曲
逆縁に手向ける狐花火なり
十三の振りあるダンス錦鯉
秋澄んで音の隙間を歩く猫
蜩にふっと金属疲労かな
鉦叩き夜の純度を計りおり
深海魚の眼のうつろ昼の月
真相は外伝にあり猫じゃらし
背泳ぎのもがきを抱え柿熟す
木の鳥と木の実の鳥の禅問答
古傷のような鍵穴冬に入る
返り花居るはずのない母の町
傍聴に紛れていたる雪女
なんとなく臨死気分よ日向ぼこ
地に眠る蛇と交信象の足
◆選考経過と選評
岡田耕治
第四回鈴木六林男賞の選考経過を説明する。二〇二五年九月一日までに到着した作品は、七二編であった。これを私が開封した(メールを開いた)順に番号をつけ、筆名を伏せて選考委員の岡田由季さん、久保純夫さん、曾根毅さん、津川絵理子さん、津髙里永子さん、堀田季何さんに送付した。選考にあたり、各委員の持ち点を十点とし、最高五点以内で応募作品に点数を付けていただいた。
各選考委員の採点を合計したところ、最高の9点が「それっきり」うっかりさん、「狐花火」三好つや子さんが同点であった。そこで、第四回鈴木六林男賞の大賞をこの二人とすることを選考委員に提案し、全員の了承を得た。
また、秀逸賞については、合計が6点の「コスモス」小林かんなさん、5点の「偽の声」押見げばげばさん、同じく5点「つぶら」弥栄弐庫さんの三人とすることについても、全員の了承を得た。
六林男賞大賞の、「それっきり」うっかりさんは、「空蝉に掴まれている時間かな」という一句が特に印象に残った。空蝉が、私の命でもある時間を掴んでいる、すなわち過去の熱や記憶が、今のひと時を掴み、立ち止まらせている状態を象徴している。空蝉の静けさと、そこに宿る生命の痕跡、そしてその痕跡によって「時間」が抱きしめられる、そんな静かで深い余韻を残す、哲学的で優れた作品だ。
「狐花火」三好つや子さんは、「逆縁に手向ける狐花火なり」という一句に注目した。逆縁という悲しみに捧げられるのは、儚く、どこか心もとない「狐花火」。そのささやかで、予測不能な火花は、打ち上げ花火の派手さではなく、静かに、そして切実に故人を偲ぶ、絶望的な愛の形を象徴している。作品二十句は、生と死、現実と虚構が混ざり合い、生と死の距離感が曖昧になった時代の感性を鋭く捉えている。六林男賞に相応しいと思い、高点をつけた。
「コスモス」小林かんなさんは、「浮腫むまで立っていた脚水中花」という一句が示すように、二十句を通して日常に耐え、その中に確かなものを見出そうとする力を深く描き出している。
「偽の声」押見げばげばさんは、「桃の実を噛んで偽の歯偽の声」に注目した。桃を噛むという生を実感する瞬間に、自分の歯と声が人工的な要素であることを自覚するという、現代人が抱える身体の不確かさと「私とは何か」という問いを、鮮烈なイメージで描き出している。
「つぶら」弥栄弐庫さんは、例えば「海の向こうの死アスパラガス茹でる」は、世界の悲劇と日常の営みの断絶を描いている。この句以外にも、全体として、現代生活の断片と、身体・内面の不安を鋭く捉えた、知的な光を放つ作品群に注目した。
以上
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